close

2021.02.25

選手情報

宮城淳さんがご逝去、1955年全米選手権ダブルスで優勝

  • 著者をフォローする
  • 記事を保存

SHARE

  • 著者をフォローする
  • 記事を保存

写真左端が宮城淳氏、続いてローズウォール氏、熊谷一弥氏、ホード氏、加茂公成氏。1955年開催の「日豪対抗テニス東京大会」での写真。<写真:『宮城黎子の昭和テニス史』(日本文化出版株式会社刊)より>

戦後の日本テニス界で一時代を築いた

公益財団法人日本テニス協会顧問であり、月刊テニスクラシックでは、編集顧問も務めていた元デビスカップ代表選手・監督の宮城淳(みやぎ・あつし)さんが、2月24日(水)夜、東京都内の介護施設にて膀胱がんのため逝去された。

1931年10月19日生まれの宮城淳さん(東京都大田区出身。早稲田大学卒)は、姉の黎子(故人)さんと共に、戦後の日本テニス界で一時代を築いた。

1955年全米選手権(元・USオープン)では、男子ダブルスで故加茂公成さんとのペアで優勝という快挙を達成。また、全日本選手権ではシングルスで4度、ダブルスで4度、混合ダブルスで1度優勝。1952年からデ杯代表選手、1962年からデ杯監督も務めていた。

無料メールマガジン会員に登録すると、
続きをお読みいただけます。

無料のメールマガジン会員に登録すると、
すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能などがご利用いただけます。

いますぐ登録