世界を視野に入れる若手のホープ・松岡星空(まつおか・せいら/日本ガイシ)。その傍らで成長を見つめ続けてきた貝吹健コーチは、「世界で通用する素質がある」ときっぱり言う。だが、その道のりは平坦ではない。環境、移動、資金――アジアの選手が直面する現実と、それでも広がる未来への期待を語った。
――全米オープンジュニアの車いすテニス女子ダブルスで松岡星空選手が優勝しました。どのように見ていますか?「単複優勝のチャンスは十分にあると望んだ大会でした。初戦でいきなり第1シードの選手と当たったシングルスでは、落ち着いたプレー、自分のテニスで勝ち切ることができました。しかし続く2回戦、勝てるイメージがあった相手に対し、今までにないくらい乱れてしまいました。第2セットになっていつも通りのプレーが出始めたのですが、時すでに遅しといった感じでした。今回が初めてのグランドスラムで、1試合目はチャレンジャーの気持ちでやれたのですが、その他の選手にはこれまで勝ったことがあったので、勝ちを意識しすぎたかと思います。コーチの私の目から見ても優勝できる力はあると思っていました」
――負けている場面でもあまり細かなアドバイスなどをせず、見守っている様子でした。「試合中は意図的にそうするようにしています。彼女の強みは試合の中で状況を判断し問題を解決する能力が高いところだと思っています。今回の勝ちだけにこだわるのであれば、言いたい場面もあったのですが、これから先も長く、可能性がある選手だと思っていますので、彼女の良いところを伸ばすという意味でも、私からの試合中の具体的なアドバイスはできるだけ控えるようにしていました。また、テニスはコーチが選手に何かを言ったら勝てるという簡単なものでもありません。彼女は真面目な性格なので、言われたことをしっかりやろうと思い過ぎて混乱してしまっても良くないかと考えました」
――松岡星空選手と出会ったきっかけは。「彼女がテニスを始めて少し経ったタイミングで、私が担当した車いすテニスの講習会に参加してくれたのがきっかけです。その後、本格的にテニスを始めることになった時に、私の運営している車いすテニスのチームに彼女が入ってきました。それからコツコツと続け今に至ります」
――貝吹コーチが健常者を教えているところから車いすテニスの世界へ入るきっかけは?「何かカッコいい理由があるわけではなく、2004年に当時勤めていたテニススクール運営会社のクラブのヘッドコーチに就任した際、既に車いすテニスのプログラムがあったんです。4~5人の選手の方が来られて90分のグループレッスンを受講されていました。当時の私の個人的な感覚としては、得体の知れない競技で、突然に『来月から担当してください』と渡されたというのが始まりでした」
「当初は、車いすテニスのことを全く知らない私が無責任にクラスを担当することはできないと断っていました。しかし他に担当するコーチもいないし、基本的な練習でいいからと言われ、なし崩し的にスタートすることになりました。ただ、お金をいただいている以上、こちらがきちんと勉強して何か提供しなくてはという思いは強くありました。『こういう時はどのようなタイミングでボールを出したらいいですか?』、『どんなボールを打つと練習になりますか?』、『どうして今、そのような車いすの動き方をしたんですか?』と選手に教わりながら何とかやっていました。週1の休みには、全国各地で開催されていた車いすテニスの大会に足を運び、実際の試合を観に行くようにもしました。他の地域の選手やコーチと交流することで、車いすテニスの情報をできるだけキャッチしようと必死でした」
――車いすを操作することの難しさは健常者にはわからない体感覚だと思います。「そうですね、私は選手の古い車いすを譲ってもらい、レッスンの空き時間に自分も乗っていました。同僚に練習の相手をしてもらって、実際にどういう感覚なのか知るところからスタートといった感じでした」
「私にとってラッキーだったのは、その時担当した選手たちが、当時の日本国内ではトップの選手だったことと、男子、女子、クアード全てのクラスの選手がいたことです。障がいの種類や重さもそれぞれ違う。選手によってやれること、やれないことがある、同じ車いすテニスでもみんな同じではないというのを早い段階で知ることができたというのは、1人の車いす選手だけを担当するコーチよりも幸運だったと感じています」
――車いすに乗っていても凄いボールが打てたり、動きの速さなどの驚きがあります。この20年の車いすテニスのレベルの変化はいかがでしょうか。「私が携わり始めた20年前と現在を比べ一言で表現すると、より健常者のテニスに近づいたと言えます。以前はどのように動いたらボールに追いついて返球できるかチェアワークを研究し、時間を稼ぐバックハンドスライスや高い軌道のトップスピンを主体にコートの後方でラリーをしていました。それが現在では、少しでも早く攻めるためにチェアワークを研究し、攻撃的なバックハンドのトップスピン、アプローチショットからのネットプレーを磨き、プレーするエリアはよりネットに近くなっています。そして、それに伴って当然ラリーのテンポもより早くなっています」
――車いすテニスのコーチを続けるには好きでなければ難しいのではないかと思いますが、貝吹コーチのモチベーションはどこから来るのでしょうか。「3つ理由があります。まずは、車いすテニスの魅力を早々に感じて虜になったことですね。当時は国枝さんが圧倒的に強く、彼のプレーを見て驚きました。単純に車いすテニスのスピード感や迫力がすごかったんです。また、車いすテニスの2バウンドまでOKというルールや真横にスライドして動けない、正面や高いボールの処理が難しい、自分や対戦相手の障害の種類や度合いも考え、どう戦うと効果的かということまで選手たちは考えててプレーしていて、健常者のテニスと比べてかなり奥が深いことにも惹きつけられました」
「2つ目は、今もそうですが、車いすテニスを専門的にみているコーチが日本にはほとんどいないという点です。きっかけはどうあれ、携わった責任やご縁は大事にしたかったというのがあります。私が『車いすテニスはやっぱりよくわからないので』とお断りしたり、片手間にやっている感じになってはダメだなと。世の中の他のテニスコーチはもっと関わる機会はないわけですから。だったら自分がやるべきだなと思ったわけです。関わることになったからには一番先頭に立ってやるぐらいにはなりたいという思いが最初からありました」
「3つ目は選手たちとの出会いです。担当している選手が、試合で勝てなかった相手に勝つというところの喜びです。これは車いすテニスでも健常者のテニスでも一緒ですね。自分が指導している選手と一緒になって取り組んできたことが試合で出せたり、練習の場面でも、(選手が)できなかったことができるようになったときの喜びは、コーチにとって大きくて、今に至るというところです」
――車いすテニスも勝つというところとプロである以上「魅せる」ということも必要ではないかという点についてはいかがでしょうか。「私は2017年から2020年までナショナルコーチとして活動をしていました。日本代表選手のサポートをしながら海外の大会を周って行く中で、トップ選手同士の闘いは、お金を払ってでも見たい、そして見てほしい試合が数多くありました。2020年からは小田凱人選手のツアーコーチをし、現在は彼のチームの一員として活動している中で、彼が勝つためだけのテニスをやっているわけではなく「魅せる」テニス、国枝さんが上げてくれた車いすテニスのステージをさらに上げていると思います」
「見ていてワクワクするようなテニスをしていますよね。スピードやテンポの速さ、技、車いす操作の多彩さ、迫力など、そういったところを多くの人に見ていただく機会を周りの我々が作っていかなければと考えています。せっかく選手が頑張って技を磨いて素晴らしい試合をしても観られなかったらやっていないのと同じかなと思うんですね。そこは選手以外の関わる人間の努力が必要ではないか、というのが1点です」
「もう一つは、彼ら(小田選手や上地選手)ほどのレベルのテニスでなくても、障がいが重い中、できる範囲でいろいろな工夫をしてやっている選手たちの素晴らしさは、ちょっと素人目には分かりづらいところなんです。そのすごさが伝わるような取り組みがあってもいいかなと。以前、ナショナルコーチとして行った海外の大会では、選手の紹介がフェンスに張り出されていて、ランキングや名前が書いてある横に『障がいの種類』も書いてありました。例えばこの選手は下半身に麻痺がある、この選手は足を切断した選手など、選手の特徴を観客も知ることができ、『だからこの選手はラリーをしないでどんどん前に行くんだ』『この選手は車いす操作が速い選手だからラリーで粘っていくスタイルなんだ』とか、そういったのがわかると観ている側も面白いんですね」
――コーチ達もそれが分かって試合を観ているんですね。「そうですね、全米オープンジュニアの松岡星空に関しても、2回戦でサーブが崩れたのは、相手に低いところでボールを打たせたいという作戦があったから。対戦相手は車いすの座面が高いので、高く跳ねるボールに対して上から叩けたり、ベースラインの後方まで下がらずに対応できる、という利点があります。(その分低いボールへの対応が難しくなるため)ラリー中も低いスライスを入れたり、なるべく浅く伸びていかないようなサーブを入れていこうとしていたのですが、それが上手くいかなくて自分が崩れたといった感じで。選手の特徴を知っているとより車いすテニスが楽しめますよね。そういう面白さや奥深さみたいなものを観客の皆さんに知ってもらうと、健常者のテニスを観戦するよりも、ひょっとしたらバラエティー豊かな観戦ができるのではないかという想いが長く携わっている者としてはずっとあります」
――競技人口の問題もあると思いますが車いすテニスの面白さが伝わると広がっていくように思います。「元々、日本には多くの車いすテニスプレーヤーがいました。私が携わる前の方がもっと多かったとも選手から聞いたことがあります。競技人口が減っている理由は、パラスポーツの種目が増えて選択肢が増えたこと、また医療が発達して障がいであった部分(下半身麻痺など)が治ることもあるそうです。限られたパラスポーツの権利を持っている人たちが、様々な種目を選ぶことができるようになったことはとても良いことですが、各種目からすると選手を獲得する、車いすのテニス人口を増やそうということに関しては、少し難しくなっているのかなと思います」
――東京パラリンピックがあり、よりパラスポーツの認知が広がったというのはありそうです。「パラリンピックに出たい!となった時に車いすテニスだと難しいというのはあります。日本は強豪国なので、車いすテニスを始めたけれどパラリンピックを目指すために、他の競技に変更した選手も多くいます。これは小田選手、上地選手がいるからこそ起きる現象で、健常者だと錦織圭選手や大坂なおみ選手のようなスター選手が出てくると(競技人口が)増えるというイメージですが、必ずしもそうではないところがパラスポーツの世界にはあります」
「とはいうもののパラスポーツでは、プロの選手として大きな賞金を得て、生活が成り立つというスポーツは車いすテニス以外にはそうはないと思います。そういう夢はあって、小田選手や上地選手がリードして夢を見せてくれていると思っています。彼らに続く若い選手、松岡星空もこういう場所に来て実際に試合をしていますが、夢を実現できるようになってもらいたいなと思いますね」
――強い選手になるためには、車いすテニスの世界でも厳しいトレーニングで追い込んで取り組んでいくこともあると思います。「選手の特徴や、強化のタイミングによって違うと思うのですが、追い込んだ方がパフォーマンスの向上につながるのであればやった方がいいと思います。松岡星空については、これまで厳しいトレーニングで追い込むというよりは、技術をしっかりと磨いてきました。追い込むといってもフィジカル面とメンタル面のどちらを伸ばすか、目的によっても違うのかなというところです」
「できるだけその選手に必要な部分を提供できたらいいかなという風に考えていますが、アスリートとしてそれ以外にも取り組んでいかなければいけないことはたくさんあると思います。練習、トレーニング、栄養、メンタルの部分、そういったところ全てをやっていかないと、世界でトップを目指してやっている選手達と対等に戦っていくのは難しいかと思います」
――全米オープンの華やかな舞台の裏に毎日の積み重ねがあり、松岡星空選手が今大会のジュニアの車いすテニス女子ダブルスは次につながる嬉しい勝利ですね。最後にこれからの車いすテニスの可能性も含め、現在の貝吹コーチの立ち位置から今後についてお願いします。「松岡星空は、小田凱人のようなフィジカルはないんです。それは障がいの部分も関係しています。ですが、身体が小さくても勝っていく、闘っていけるというところが、同じような障がいを持った子たちの夢に繋がるのではないかと思います。本人はどこまで意識しているかわかりませんが、自分がやれることを精一杯コートで出して、世界一!パラリンピックで金メダルを獲りたい、という自分の夢に向かって一生懸命やっています。これまでの私の知見をできるだけ生かして、その夢に近づけてあげたいなと思っています」
「課題はあって、それはお金の部分です。日本国内で開催される大会への参加だけでは、試合数も限られていますし、獲得できるポイントの面でも限界があり、それだと世界の大会のグレードも高いところに参加できなくなってしまうのでランキングも上げられない事実があります。やはり世界ツアーを周らないと厳しい現状です」
――海外の大会に出ないとランキングが上がらないということは渡航費や滞在費がかかるということが容易に想像できる壁ですね。「ヨーロッパの選手は陸続きで大会に出場しやすく、大会数もあってポイントが稼げる。一方、アジアの選手はその点は厳しく、特に日本は島国なのでどこへ行くにも飛行機に乗ってということになり、行って帰ってくるだけでかなりの金額になります」
――それが年間の活動となると、ご理解のあるスポンサーさんの存在は大きいところです。「コーチの立場でありながらマネジメントも兼任という立場でもあるので、遠征を支援していただけるような取り組みを同時進行でやっています。大会に出るだけでもお金がかかりますし、当然、コーチ代も必要です。練習に関してもグループレッスンだと、それぞれ練習したい内容やボリュームが違うので、どうしても1対1の練習になります。そうなると、プライベートレッスンという形になるので、相応の金額を練習で使わなければなりません。そこが課題となるところで、これも含めてご支援をしていただいています。メディア露出もまだまだ少なく知名度も低い松岡星空ですが、彼女の活動を応援したいとスポンサー様にご理解いただいて、今ここに来ているという状況です」
「たぶん全国には、実力はあるけれども世界を周れていないためにランキングを上げられない選手、もしかすると選手活動を諦めてしまった子もいると思います。これは車いすテニスの課題点です。他の地域のコーチの皆さんも、選手をコーチングしながら自分の生計を立てるためにもスポンサーを探しているというのが現実です」
「最終的に選手と携わるコーチの立場としては強い選手というのはもちろん、皆さんから応援してもらえるような人間としても魅力ある選手になってほしいと思っています。現時点で松岡星空はすでに私にとっては応援したくなるような選手、自分がコーチでなくても応援したくなる選手で、地元はもちろん、国内外の選手やコーチからも応援をいただいています。一生懸命で常に楽しむ姿勢を忘れない、今の感じで成長していってほしいなと思います」