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2026.04.18

メーカーズボイス

45年前、テニスラケットの歴史を一気に進化させた『プロケネックス』というブランドを振り返る!【『PRO KENNEX』the Story/GEAR SELECTION TENNIS EYE Special】

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カーボン製ラケット「世界の工場」、【クンナン社】が独自ブランドを生む!


今回は【プロケネックス】の現行モデルの話をする予定だったのだが、その前にどうしても、このブランドが生まれるまでの話をしなければならず、書いているうちに「1話分」を激しくオーバー。若い方には少し退屈かもしれないが、テニスのことが好きならば、ラケットについて、スケールの大きな話を、ちょっとだけ我慢して読んでいただきたい。

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1870年代、現代テニスの基本となる「ローンテニス」が英国のウィングフィールド少佐によって提唱される。このときからウッド製フレームの時代が続いたが、およそ70年後の第二次大戦が終わると、世界的な素材革命が起こり、絹や綿の代替素材としてナイロンなどの化学繊維、木の代わりに金属やプラスチックが使われるようになる。

テニスラケットのフレームも、アルミやスチール製のものが生まれ、1970年代にはガラス素材を繊維状に加工したグラスファイバー素材など、鉄よりも軽い素材が自動車や日常品に用いられ始める。

さらに1980年代に入ると、木製はもちろん、鉄製よりももっと強度があって、軽くて丈夫な夢の素材『カーボン繊維』が注目を浴び、世界中の各種産業で用いられるようになり、これがスポーツ道具のメイン素材としても注目された。

今日では、カーボン繊維の開発・進化に欠かせなくなっている日本企業は、まさにカーボン開発技術の世界最先端を走っている。だが、1980年以前に日本にあったラケットメーカーは、「ほぼすべて木製フレーム」。新素材を使ったラケットは、わずかに数えるくらいしか存在しなかった。

ウッド製ラケットは、幅2cm×厚さ2mmほどの薄い板を幾層にも重ねて、曲げながら接着して成型されるが、日本メーカーの職人技は、世界にも認められる加工技術を誇って、【カワサキ】や【フタバヤ】といった優秀な国産ウッドフレームが愛用されていた。

そうした構造だったウッドラケットにも新素材が投入されるようになって、ウッド積層の層間にグラスファイバーを挟むなどの補強が行なわれたが、ほんの数年間のうちに、テニスラケットの素材革命は、大ブレイクを迎える。「カーボン繊維をメインとして、金型成型するフレーム」というものが現われ、1980年代のわずか10年間で、ラケット素材の世代交代が完了する。

その象徴が『フルカーボン製ラケット』だ。ウッド製ラケットよりも軽くて頑丈、製造工程も短縮できるカーボン素材は、ラケットの作り方を根本的に変えてしまった。当初は、ウッド製ラケットの打球感覚に慣れているプレーヤーに対応するため、カーボンよりもちょっと重くて柔らかい繊維であるグラスファイバーとのコンポジットで構築されるフレームが多かったなか、今で言えば「レア・マテリアル」だったカーボン繊維を100%使って成型されるフルカーボン製フレームは、きわめて贅沢スペックとして開発者たちのイメージの中にしか存在し得なかった。

こうしてラケット製造産業は素材革命の坩堝に呑み込まれていくわけだが、日本の国産ラケットメーカーは「ウッドラケット製造技術者としての矜持」からか、従来路線を脱却しきることができない。それでも時代の流れを見て、慌ててカーボン化に取り組もうとしたのだが……、時すでに遅し。職人技はラケット革命に追い付くことができなかったのである。

そんな中で、ラケット産業の世界最先端に立っていたのが「台湾」だった。
というよりも台湾の特筆すべき企業、【クンナンエンタープライズ】というラケット製造企業に特定してもいい。1969年、創業者の「ロー・クンナン」氏 は、その前身となるスポーツ用品会社を、1978年には当時の最新製造システム工場を備えた【クンナンエンタープライズ】社を設立した。続いて2年後の1980年には【クンナン社】を設立して超巨大ラケット工場を新設。世界のテニスラケットの90%以上を送り出すこととなるモンスターブランドの礎を築いた。

……のだが、時間を少しだけ巻き戻して、1977年。【プロケネックス】というブランドが誕生した裏話を紹介しよう。

世界のトップブランドに駆け上がった【プロケネックス】はじつは「ケネディー+ニクソン」から!


創業当初から、ロー・クンナン氏のイメージの中には、「グラファイト100%製ラケット」という構想があった。今では、すべてのカーボン繊維が「総称」として受け容れられているが、当時は「カーボン繊維よりも高品質に仕上げられたのをグラファイトと呼ぶ」といった差別化がなされていた。

グラファイト100%という夢の実現に向かうロー・クンナン氏だったが、ブランドネームで悩んでいた。自分が作ったラケットをプロプレーヤーにも使ってほしいという願いを込めて、自身の名前に「プロ」の一言を加えて【プロクンナン】にしようかと思ってもみたのだが……1980年以前では、中国名のブランドには、好ましい商品イメージを抱かれていない。

1969年にアポロ11号が月面着陸を果たして以来、すべてにおいて「アメリカ」が世界最先端のイメージを誇っていた。新ブランドのイメージ構築のためには、なんとしてもアメリカ進出を果たさなければならない。

そんなとき、アメリカ輸入代理店としてクンナン氏をバックアップしていた「チャーリー・ドレイク」氏と、ジョギングしながら話す機会があった。
「今はなんといってもアメリカのイメージがいい。世界中の企業が英語っぽいブランド名を付けているじゃないか。どうせなら偉大な名前がいいなあ……」
二人の雑談はさらに盛り上がり、ドレイク氏は冗談まじりに「アメリカで偉大なイメージというと『大統領』だろ。ケネディー大統領(第35代 在任:1961〜1963)の【KENE】と、ニクソン大統領(第37代 在任:1969〜1974)の【NIX】っていう名前を拝借して【PRO KENNEX】というのはどうだろうか?」
クンナン氏は、即時に賛同した。 
ブランド名というのは、そんな感じで決まってしまうものが少なくない。

そうして誕生した新ブランド【プロケネックス】は2年後、世界初となる「100%カーボン」のテニスラケットの発売を実現する。カーボン製品を「金製品」に喩えるなら、一般スペックが「14金」、上級スペックが「18金」、そして最高級スペックが「純金製」といった感じだろうか……。つまりフルカーボン製ラケットは、まさに「純金製」の輝きを感じさせ、実用品とはかけ離れた存在だった。

クンナン氏は、こうして夢実現の第一歩を記したわけだが、これを機に、他メーカーのカーボン化追従が始まり、世界中のテニスラケットがカーボン製になっていくわけである。

【プロケネックス】はつねに世界の最先端であろうとした!


世界初の「カーボン100%製テニスラケット」を実現し、台湾製造業の成長とともに【クンナン】社は世界最大のラケット生産企業へと成長する……というか、全世界へ流通するテニスラケットの「ほぼすべて」が【クンナン】製だったことは、まぎれもない「世界周知の事実」であった。

【クンナン】以外のラケット工場は、W社がセントビンセント、H社がオーストリア、yy社が日本の新潟にあっただけで、おそらく世界中のテニスラケットの90%以上が、台湾【クンナン】製だっただろう。あの「デカラケ」だって【クンナン】製だったわけで、今にして思えば「ぶったまげ!」である。

ただそれは【プロケネックス】が誕生してから、しばらく経ってからのこと。筆者が記憶する限りでは「1981年以前」は、【プロケネックス】も、ごく普通のレギュラーウッドを作っていて、それを知る人も少なくなってしまった。

【プロケネックス】が最初に注目されたのは、まだデカラケをモンスター扱いしていたために生まれた「ミッドサイズ時代」。

カーボン製デカラケが登場したとき、「アルミ製デカラケ」「ウッド製デカラケ」も派生するが、デカいフレームサイズに、重い素材のウッドは相性がよくなかった。
そこに登場したのがプロケネックス【ゴールデンエース】という、ウッド製ミッドサイズだったのだ。このモデルこそが、それ以降の「ミッドサイズ・ブーム」の火付け役となり、直後に起こる「ウッド製→カーボン製」の転換期を生み出すこととなった。(じつはこの「ミッドサイズ」という呼び名は、ちょっとだけ後のことで、登場時は「セミラージ」と呼ばれていたなぁ……と思うと、懐かしい)

「なぜセミラージだったのか?」
世界は「デカラケ化」によるハイパワ−&スピン性能を認めながらも、いっせいに全面的革命を迎え入れなかった。そこに誕生したのが「中庸型サイズ」のセミラージ=ミッドサイズだった。

現在は「フェイスサイズを数字で示す時代」だからイメージしにくいかもしれないので具体的に示そう。
レギュラーウッドというのは「約70平方インチ」。これが暗黙の「基準値」であったが、そこに出現したのが「約110平方インチ」のデカラケ(ラージサイズ)。当時は「フェイスサイズ50%アップ」と表現されていて、現在の「107平方インチ」は、それを正確に表現している。

ただ、多くの一般テニスプレイヤーが「デカすぎる……」と感じていた。
だから中庸型「ミッドサイズ」として「フェイスサイズ20%アップ」の「約85平方インチ」がテニスショップに並んだとき、テニスファンの多くが「進化するための可能性」を、初めて身近に感じたのだった。



プロケネックス【ゴールデンエース】は、そうした「過渡期」を作り出した立役者である。翌1982年のカタログ誌には【ブラックエース】が登場している。このモデルが世界的大ヒットを生み、プロケネックスの名を歴史に刻むこととなる。考えてみたら、現在も「モデル名」として現役として残っているのはプリンス【グラファイト】と、プロケネックス【ブラックエース】だけか……(もちろん両方ともクンナン社製)

これに続いてプロケネックスは【シルバーエース】【ダイヤモンドエース】【ブロンズエース】など【エース】シリーズを連発し、世界のトッププロたちが使用する。
【ゴールデンエース】はエリオット・テルシャーが使用。【ゴールデンエース・ボロン】はホセ・ルイス・クレルク。
【ブラックエース】は、ブライアン・ティーチャー、スティーブ・デントン、中国から亡命してアメリカ国籍になったことで話題になったフー・ナ。スウェーデンの新進気鋭だったヘンリック・サンドストロームらが使って話題となった。
【シルバーエース】は、当時のダブルスNo.1だったロバート・セグソー。日系カナダ人で日本のファンも多かったグレン・ミチバタ。日本では西谷明美選手が【シルバーエース】を愛用していた。

こうしてクンナン氏が夢に描いた「世界のトッププロが使うブランド」になることは実現した。【プロケネックス】は、世界60カ国以上へ輸出され、一時は世界シェアの4分の1を占める規模のブランドとなり、日本でもNo.1シェアを2年連続で獲得することとなる。

……ということで、今回のスペシャル企画はここまで。
45年も前の話になってしまったが、テニスラケットの進化にとって、当時の【プロケネックス】の存在は、非常に大きく、テニスファンには知っておいてもらいたい逸話として、ちょっと講談風に語らせていただいた。

次回レギュラー回では、【プロケネックス】が確立した「特殊な機能システム」を搭載した、現在の最新モデルについて話を戻すこととして、本日は「読み終わり」とさせていただきます。


文=松尾高司
1960年 生まれ。『月刊テニスジャーナル』で 26年間、主にテニス道具の記事を担当。試打したラケット2000本以上、試し履きしたシューズ数百足。「厚ラケ」「黄金スペック」の命名者でもある。テニスアイテムを評価し記事などを書く、おそらく世界で唯一のテニス道具専門のライター&プランナー。

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