1990年から2008年まで国際レフェリーの最高資格である「ゴールドバッジ」として世界中を回った川廷尚弘氏。2009年から2022年までジャパンオープンのトーナメントディレクターを務め、世界の舞台で積み上げたネットワークや交渉力を駆使して数多くのスター選手を大会に招いた。
2019年には国際テニス連盟の理事となり、2020年には日本テニス協会副会長に就任。今年7月には日本車いすテニス協会の会長にも就いている。
そんなテニス界のさらなる発展を担う一人に、ジャパンオープンでトップ選手に来てもらう難しさや、今年一部のメディアでネガティブな問題として取り上げられた「21時以降の試合が無観客」で開催されること、また「テニスを盛り上げる」ことについて話を聞いた。
――日本テニス協会のお仕事の中にグランドスラムの視察をしながら「木下グループジャパンオープン」や「東レPPO」など国際大会にスター選手が来日するよう水面下での交渉など、秋のアジアシリーズで中国という開催国のライバルがいて、選手の誘致に大変なご苦労があるのではないかと思います。「私は『楽天ジャパンオープン』時の2009年から2023年までトーナメントディレクターを務めていました。現在は甘露寺(重房)氏に引き継ぎ一線を退いています。今はシニアディレクターという形でジャパンオープンに関わり、トーナメントディレクターをサポートしています。トーナメントディレクターにとっては、選手との交渉は大変なことなんです。選手にとってはJapanOpenだけのために日本に来るということではなく、年間スケジュール考えて、どの大会に出場しアジアスイングをどのように転戦するか、ということを半年~1年前に決めてしまいます。その中でトーナメントディレクターは選手と交渉し(確約を得る)、それは大会を左右する大きな仕事の1つでもあります。トーナメントディレクターとしてはすべてのトップ選手に来てもらいたく、日本でプレーすることを楽しみにしてもらいたいのが本音ですが、これが簡単ではありません」
――スター選手に出場してもらうための難しさもあるというわけですね。有名選手や見たい選手だけがジャパンオープンに来るということでは大会運営は難しいということですか。「テニスファンの皆さんは、以前で言うとフェデラーやナダル、ジョコビッチが見たいという話になっていました。同じ週に開催する中国の大会側も彼らに来て欲しいわけですから、同時にスター選手が来るというわけにはなかなかうまくいかないものです。ATPマスターズ1000の大会なら出場は義務なので可能ですが、同じ週に2つのATP500があると一方の大会だけが激戦区の大会になってしまいます。そのような状況を選手は望んでおらず、ツアーとしてもバランスが崩れてしまいます。我々ツアー大会主催者は、トップ選手だけが大切なのではなく、出場するすべての選手が大会の主役であり、彼らの存在があるからこそ成り立っています。どの選手もヒーローになりうる素晴らしい選手なので、我々はどの選手にも配慮しながら運営し、木下グループJapan Openにご来場のお客様にはどの選手の試合も楽しんでご覧いただけるラインナップだと思います」
――その中で今年の「木下グループジャパンオープン」には世界ランク1位のカルロス・アルカラス選手が出場します。「今年は甘露寺氏が(交渉を)頑張って、トップ50のうち半数近い選手が出場します。これはすごいことですよ。甘露寺トーナメントディレクターが素晴らしいお仕事をされています。テニスファンも楽しみにしていただければ幸いです」
――一方では大会期間中、21時以降は無観客になるということがテニスファンの間で広がりました。「“21時以降”というのが話題として取り上げられ、確かに21時以降は地域住民との間で音量に関する協議があるというのは事実です。我々としてはその対応として、ナイトセッションを早く始めようとしていて、デイセッションとナイトセッションで計4試合をスケジュールしますので、21時までに終わるような対応に努めています。昨年は0時に終了することもあり、会場周辺でご迷惑をおかけしたことも事実です。昨年までナイトセッションのスタートを19時から2試合を設定していることに加え、デイセッションが想定より試合時間が長くなったことで、さらに最終の終了時刻が遅れる事態となりました。今年はナイトセッションに関しては大きく3時間も早めて16時開始予定とすることにより、試合スケジュールが全体的に早まる方針と対応にご理解頂けるよう、引き続き、検証しながらより良い改善に努めているところです」
「テニスだけではなく、東京オリンピック後の有明ではスポーツやコンサートなどいろんなイベントが連日のように行われていることから、有明周辺のイベント環境が大きく変わっていると思います。テニスの聖地の周辺住民の方々の中には、静かな環境を求める方もいれば、夕方からテニスを見たいと思っている方々も様々いらっしゃると思います。引き続き、地元と共生は大切にしていかなければいけないと思っています。有明の大型テニス大会は1年にこの時期だけしかない状況でもありますので、“有明コロシアム”でグローバルスタンダードなテニス大会になるように色々なトライアルや改善にご理解をいただけるように、これからも引き続き協議と説明に努めたいと思います」
「さまざま協議のなかで21時以降に無観客で開催するという報道もありましたが、試合開始を早めることから、21時終了に努め、21時以降はマイクや音楽を活用したエンタメは控えることにしています。テニスファンへの伝わり方として(大会側が)早く始めさせて頂くことが情報発信として伝わっていないことで、多くの混乱とご心配をおかけしてしまいましたが、無観客開催を前提としていることではございません」
※「木下グループジャパンオープンテニスチャンピオンシップス 2025」開催スケジュールについて
●全日程を通じて21時までに試合が終了できるよう試合予定を組む。2セッションを行う日程は、有明コロシアムで11 時からシングルス2試合、16 時からシングルス2試合を行う。
●有明コロシアム以外のコートも同様に、21時までに試合が終了できるように、1面あたり1日4試合を上限に試合を行うことを基本として試合予定を組む。
●各コートにおける1日4試合について、有観客での実施を予定しているものの、天候やその他の試合進行上の理由により追加の試合が必要となった場合には、無観客での試合実施となる可能性がある。
――今回、視察に訪れた全米オープンは大音量でお祭りのような盛り上げ方ですが、各グランドスラムそれぞれの特徴があると思います。川廷さんがお考えになるイベントや大会の盛り上げ方やその違いについてのご意見をお願いします。「それぞれの国に異なるスポーツ観戦の文化と慣習がありますよね。全豪オープンも(全米オープンと同じように)激しくて、あるエリアにはお酒が好きな人が集まるエリアがあったりしますが、そういうテニス文化、スポーツ文化というのは、我々スポーツ関係者、テニス関係者が作っていくものなので、昔も今もいろんなところを見ながら、日本のテニス観戦の文化をリードする手法を模索しているというところです」
「私が(トーナメントディレクターを)担当していた時には、デイセッションのみ開催でしたが、ナイトセッションを取り入れました。すべての日程でナイトセッションを導入する前には金曜日だけをナイトセッションで始めたりして、少しずつトライアルを広げてみました。その当時は『夜にテニスを見に来るのか?』ということも言われましたが、日本も他国同様に観客層が昼間は女性の方が多く、夜は男性や学校終わりの子供たちが多く観戦にお越し頂けました。新たな文化ができつつありましたが、(先述した)これからは周辺住民との共生する方法を新たな文化として作り上げてくことだと思います」
「野球でも21時以降でやっているところはもちろんあると思いますが、それは長い間にいろんな対策で出来上がってきたと思います。当然何かあった時には賛否両論あると思うので、テニスも大きな課題として経験値を高めるべき道にいると思います。私は夜のスポーツ観戦はマイクや音楽で大きな音を出さなくても、日没後のテニス観戦は十分に楽しめると思います。やっぱり面白いですよ」
――仕事終わりにライブで世界のプレーを観戦したいですよね。「音量のこと、観戦マナーのことなど、これからも検証したいと思います。夜のスポーツ観戦もいろんなやり方があると思うので、今年は色々とトライアルに努めたいと思います。テニスの聖地でテニス大会を開催することに周辺地域で反対!となることは、誰も望んでいることではないと思います」
――日本のテニスの聖地「有明」で秋の「木下グループジャパンオープン」を見に行くことを楽しみにしているファンの方も多いと思います。「私もそう思っています。夕方にテニスができるという素晴らしい照明施設もできたことですし、夏の昼間は暑くてプレーが難しいので、暑熱対策も含めて、夕方は涼しく見やすいと思います」
――10月になると「全日本テニス選手権大会」や「東レPPO」とお忙しい時期となります。日本テニス界の盛り上がりについて、他のスポーツに負けず劣らずのメジャースポーツとなっていく過程があるとすれば、川廷さんはどうお考えになりますか。「どのスポーツでも同じなのですが、テニスの大会が『盛り上がっている』という定義は永遠のテーマですね。私も多くのテニス関係者やファンの皆様から『もっと盛り上げないと』と叱咤激励を受けますので、多くの挑戦をテニス関係者とともに考えては実行しています。しかし、時に何をもって『盛り上がっているのか』という議論は必要だと感じています。では、何をどうしたら皆さんが言う『盛り上がっている』と言えるのか。大会を運営していて、そう聞かれる度に多くの方々にも意見を伺っています」
「お客さんがいっぱい入っている状態のことなのか、たくさんテレビに映ってニュースになっていることなのか、新聞のスポーツ欄に出ている状況なのか、テニスのトップ選手が揃っていることなのか、とても難しいですね。Japan Openは1万人の会場キャパシティーで、毎日1万6000人ぐらいのお客様にご来場いただいています。多くのスポンサー様にも応援をいただいていて、テレビではWOWOWさんを通じて終日放送をしています。盛り上がりが足りないのは民放各社のニュースとして取り上げていないことなのか、新聞に掲載されていないことなのか、日本人選手が決勝戦にいないという話なのか。それぞれ答えが違うと思うのですが、主催者としては手の届かない部分もあり、とても難しい課題です。私としては、ご来場いただくお客様や支援者、そして視聴者の皆様に最高の環境を提供することをイベント主催者として引き続き全力を尽くしたいと思います」
――日本人選手の活躍、スター選手がいるということもひとつだと思います。錦織選手がグランドスラムで準優勝した時や大坂なおみ選手が優勝した時には松岡修造さんや伊達公子さん以来のマスコミやメディアが取り上げていた「盛り上がり」があったように思います。「私は常にジャパンオープンを盛り上げる方法を模索してきました。錦織選手や日本選手が活躍する年もあれば、活躍のない年もあります。勝負は水物ですから、わかりません。日本選手が1回戦で負けたとしたら、大会は失敗だったかというとそうではありませんよね。テニスの大会は素晴らしい試合と色々なドラマがあります。Japan Openは1週間で10万人のご来場者がある世界でも屈指のツアー大会です。また世界中から多くのトップ選手が来日し、素晴らしいプレーが展開されることもJapan Open観戦の醍醐味です。もしテニスの盛り上がりの基準が『日本人選手が勝つ』ことばかりに拘っていれば、私はまだテニスの本当の素晴らしさ、楽しさが十分に広まっていないのではないかと思っています」
「要するに、自国の選手だけが金メダルを取るときだけニュースになるというスポーツ界の独特の流れは、それぞれの持つスポーツの良さが文化として定着していないと私は思います。世界のテニス選手を知っていただくためには、世界のスポーツとしての報道の在り方が日本には必要です。それを大会と報道関係者との連携で行いたいですね。様々な解説を提供しながらこの選手がどんな素晴らしい技術と戦歴を持つのか、全米オープンではこのようなに活躍して日本に来日してます!とか、いろんな場面で「この選手がいかに素晴らしいのか」ということをどんどん発信していかないと、個々のスポーツを盛り上げる術は難しいと思います。主催者や協会だけで成し得る作業でないものです」
「『今年のウィンブルドンってイギリス選手が勝たないから盛り上がっていないよね?』とはなりませんよね。日本人選手への期待だけに偏れば、“世界のテニスを広める”ということにおいて、まだテニス文化、知識という意味では、まだ創成期なのか、まだまだ創られていない。だからいろんな選手が世界から日本に来て、それぞれの選手の技術やバックグラウンドを紹介しなかがら『なにが上手いのか?』など、“広める力”を日本のテニス界で作っていく必要性を感じています」
「テニスの盛り上がりにはドメスティック(国内)に重心が偏ることなく、数ある大会のなかで日本でプレーすることを選んだ世界の選手たちの多くの情報が日本で共有され、報道されれば素晴らしいことだと思います。日本では全米オープンでの大坂なおみの敗退後に、誰が男子・女子で全米オープンで優勝したかなど、日本国内の報道では取り上げられることは少なかったです。そういう意味で、世界のテニス事情が多く発信できるような状況にしたいと思います」
――ビヨン・ボルグやジョン・マッケンロー、ジミー・コナーズが現役の時代、日本でもそういう報道はありました。日本人選手がグランドスラムに出ていない時代でも、みんなメジャーな選手の名前は知っていたように思います。「過去には日本でもテニスブームの流れでTV、報道記者、カメラマンの方々が、素晴らしい技術や選手というのを紹介し、テレビ放送も多かった時代がありました。日本選手が活躍するとこれに拍車がかかりますが、そうではない時代こそ、発信する方法を考えたいと思います」
――「車いすテニス」も国枝さんが切り拓いてこられて、こんなにテニスが強い国で普及しているのに報道されないのでしょうか。「車いすテニスは、国枝選手から上地選手、そして小田選手とすばらしい選手が続いています。日本ではパラスポーツの中では群を抜いて報道して頂き、注目されていると思います。今日、日本では特に木下グループ Japan Openは日本テニス協会の車いすテニスへの支援を基に大会を開催していますが、ほかに大きくレベルの高い『車いすテニス』の大会が首都圏で行われていません。世界のトップ選手がいながら、日本でトップクラスの大会を大都市で開催しなければ、報道機会も増えません。世界トップクラスからジュニアレベルの大会開催が日本に求められており、これが実現すると報道はさらに増えることでしょう」
――フランスではテニス選手が街を歩いていると一般の方から声をかけられる、というレベルだそうです。「町おこしにスポーツを使っていますよね。マンハッタンでもミッドタウンに行くとテニスの宣伝(全米オープンの宣伝や関連企業の広告など)をしていて、スポンサーもそれに便乗しています。街で今週は野球だよ、今週はテニスだよ!とか。ウィンブルドンに行けば、ウィンブルドンビレッジの方ではお店もラケットやイチゴの装飾でいっぱいです。それでは、テニスはジャパンオープンの時に街がテニスの装飾をするか?といえばなかなか難しい。世界陸上とかラグビーなど行政が入っている時には行政支援で可能ですが、スポーツ団体が毎年開催する大会となると行政も難しいことがあります。やはり地域住民との共生が大切になるでしょう」
「『スポーツを盛り上げる』ということで言えば、この日本ではどのように創るのかというのをJOC(日本オリンピック委員会)でも話し合っています。もっと生活とスポーツが共生できるような社会を創れたらと。テニスが他のスポーツより試合結果の情報発信がメディアで多いか少ないかと言えば、ニュース番組での取り扱いは少ないです。テニスは海外で大会が開催されるため、映像ソースの入手が権利関係で難しいのです。理由はどうあれ、どうしても報道での取り扱いが少ないのが事実なので、ここもどうにかしたいと思っています」
――全米オープンのように「セレブ」の方がジャパンオープンを見に来ることはあるのでしょうか。「芸能人の方は結構ご来場いただいています。今度行きたいんです!と仰る方もいるのですが、一方で『(カメラに)映さないでください』など普通の一般の席に座って静かに観戦を希望されている方もいらっしゃいます。せっかくのご来場なので、お知らせしたいこともありますが、それぞれ(著名人の方々)のプライバシーも大切にしてテニス観戦を楽しんで欲しいと思っています」
「『ウィンブルドンにトム・クルーズ、全米オープンにレオナルド・ディカプリオ』が観戦する際には地元だけでなく世界でも日本でもニュースになります。テニスがグローバルスポーツである証ですね。それでは日本において誰がそれに当たるのか?ということになります。JapanOpenは国際映像で放送をしていますので、グローバルな発信が望ましいわけです。例えば日本の有名人が映っても国際放映的には誰だ?ということになる場合があります。となると、日本の視聴者と海外の視聴者の両方で著名な方は国内外で注目される存在が望ましいと言えます。以前、私は世界が思う日本を考えた際、相撲はユニークな視点だと思いました。元横綱の白鵬さんをお招きしたことがありますが『力士」や『金メダリスト』はテニスファンからも歓声が上がりました。卓球の石川佳純さんやハンマー投げの室伏広治さん(現スポーツ庁長官)などをお招きした際には、国際放送でも会場のお客様からも反響が大きかったようです。のちに『ジョコビッチが相撲の巡業を見に行った』ことも大きく取り上げていただきました。日本の“相撲文化”はグローバルに影響するんだなと思いました。面白いですね」
――今回は世界的視野で日本のテニス文化を広げていく活動について貴重なお話をいただき、ありがとうございました。