国枝慎吾、約28年に及ぶ競技人生に幕
2月7日、車いすテニスで10度の年間王者、通算50度のグランドスラム優勝など数々の記録を残した国枝慎吾が、都内で引退会見を開き、約28年に及ぶ競技生活を振り返った。【画像】所属先のユニクロから国枝慎吾に贈られた特別ケーキ「『最強』の夢をありがとう」38歳の国枝は、1月22日に自身のSNSで「昨年10回目の年間王者になった事で、もう十分やり切ったという感情が高まり、決意した次第です」と綴り、世界ランク1位のまま現役を退くことを発表していた。所属先でもあるユニクロ有明本部で行われた引退会見で国枝は、「東京パラリンピックが終わってから引退ということについて僕自身も考えていた」と述べ、「最後に残されたウィンブルドンで優勝が決まった後、チームとみんなで抱き合っていたんですけど、その時に『これで引退だな』という言葉がコートの上で一番最初に出た。その後、全米オープンが年間グランドスラムがかかっていたので、そのモチベーションでいけたんですけど、やっぱり全米が終わってから僕自身『もう十分やり切ったな』というのがふとした瞬間に口癖のように出てしまった。このままテニスをしていていいのかなというような気持ちに、全米オープンの後はなってしまって、これはそういうタイミングなのかなというところで決意をした」と引退を決めた経緯を説明。パラリンピック金メダルと四大大会をすべて制覇する「生涯ゴールデンスラム」を成し遂げたことがきっかけだと明かした。続けてスポンサーや妻・愛さん、両親、コーチ、トレーナーなどに感謝の意を示しつつ、応援してくれたファンに向けて「最高のテニス人生を送れた言い切りたい」と晴れ晴れとした表情を浮かべながら言葉をつないだ。パラリンピックで計4個の金メダル、グランドスラム通算50度の優勝などの記録を残す過程には、「相手との戦い」、「自分との戦い」、そして特に「車いすテニスをスポーツとして社会的に認めさせたい」という強い思いが肩にのしかかっていたと国枝は言う。「よく『車いすでテニスをやって偉いね』と言われたこともあったんですけど、別に車いすでテニスをやっていることが偉いわけじゃなくて、目が悪ければ眼鏡をかける、僕は足が悪いから車いすでそれでスポーツをする。そこは特別なことではない」と車いすテニスを福祉として社会的に意義があることというより、スポーツとして見られることを一身に背負い、“魅せるテニス”にこだわってきた。それが実になったと感じたのが、東京2020パラリンピック。「それまで国枝が車いすテニス世界1位だとかは知られていたと思うんですけど、どういうプレーをするかとかは実際にご存じなかったんじゃないかなと思う。東京パラリンピックが終わった後の反響は、僕の中でスポーツとして見られるという手応えがあった出来事」と万感の思いがあったとし、「これからの上地(結衣)選手や小田(凱人)選手といった若い選手には純粋なスポーツとしてフィールド、土台ができたのかなと思う。そういった環境を用意できてよかった」と見えない最大の敵との戦いを終えた。これまでの功績を称え、日本政府は28人目の国民栄誉賞授与を検討しており、受賞すればパラスポーツ選手としては初。国枝も「検討をしているという話だったので、それを受けた時にはこうした車いすテニスが評価された。自分自身やってきたことが最大限評価されたというのは大変光栄に感じました」と喜びを口にする。右肘の怪我で思うようなプレーができず、「挫折を味わった」という2016年には世界ランク1位を奪われ、ラケットに「オレは最強だ!」と書いたシールを外すことも考えた。だが、「弱音を吐き出せる場所があるというのは、きっと僕の競技の助けになっていたんじゃないかな」と妻・愛さんの支えもあり、「それ(テープ)を外した瞬間にもう戻ってこないなと自分自身感じたので、それを最後まで外すことはなかった。2006年から23年までラケットには『オレは最強だ!』という言葉を貼り続けた。何度も弱気になることはテニスをやっていたらありますし、そういった中でも『オレは最強だ!』と断言する。そういったことでいろんな弱気の虫を外に飛ばしてきたかなと思う。それは2006年から最後までやり切れたかなと思うことの一つです」と最後まで強い意志を貫き通した。今後の活動については、「引退発表から2週間ぐらい経って、なんとなく自分の中で何をしていきたいのかぼんやりと出てきたぐらいなので、それを今言っちゃうとそれをやらなきゃいけない感じもしちゃう」と笑顔を見せ、「まだ心の中に秘めておきたい」とした国枝だが、車いすテニス界から離れるわけではない。これから活躍が期待される選手のサポートのほか、より車いすテニス界を発展させていくために、男女の統括団体であるATPやWTAの健常者の大会に車いすテニスの部門を作ることに関わっていきたいという考えもあり、「健常者と障がい者の垣根のないスポーツだったなと思いますし、テニスをしている中で皆さんに知ってもらいたいというのが強くあったので、そこの活動はこの後も続いていくのかなとぼんやりと思っています」と、新たな国枝慎吾としての活動が始まるとした。【国枝慎吾が残した記録の数々】・現行グランドスラム通算50勝 ※通算50勝、シングルス28勝は車いすテニスで最多。ダブルス22勝は車いすテニス男子で最多・新旧グランドスラム通算50勝(シングルス32勝、ダブルス24勝)※旧グランドスラムとは、2008年まで採用されていた車いすテニス独自の四大大会(全豪・ジャパンオープン・ブリティッシュオープン・USTA全米車いすテニス選手権)のこと。2009年以降、現行グランドスラムに統合・年間グランドスラム通算5度(2007、2009、2010、2014、2015年)※ウィンブルドンシングルス導入は2016年より・世界王者通算10度(2007~2010、2013~2015、2018、2021、2022)※2020年の最終ランキングは1位だったが、コロナ禍のためITFが世界王者を認定せず・パラリンピック・シングルス金メダル3度(北京2008年、ロンドン2012年、東京2021年) ※車いすテニス男子で最多・パラリンピック・ダブルス金メダル1度(アテネ2004年)・パラリンピック・ダブルス銅メダル2度(北京2008年、リオ2016年)・パラリンピック5大会連続メダル獲得※車いすテニスで最多・ITFユニクロ車いすテニスツアー・シングルスタイトル通算117度※車いすテニス男子で最多・ITFユニクロ車いすテニスツアー・ダブルスタイトル通算83度・ITFユニクロ車いすテニスツアー・シングルス連勝記録107連勝※車いすテニス男子で最多・ITFユニクロ車いすテニスツアー・シングルス通算成績699勝106敗・ITFユニクロ車いすテニスツアー世界ランク1位在位期間582週※車いすテニス男子で最長・車いすテニスマスターズ・シングルス優勝3度(2012~2014)・車いすテニスワールドチームカップ日本代表として3度の優勝
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