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2020.09.18

メーカーズボイス

ピュアドライブの出現がテニスの歴史を変えた!

<厚いフレーム=使えない>
レッテルを覆し、テニスの未来を作る

1994年、ピエール・バボラが下したラケット界への参入。

もし、この参入がなかったら、間違いなくテニスは全く違う進化を遂げていることだろう。スピード化、パワー化が著しいと言われて久しいテニス界。アスリートの身体能力がアップしてきたからこそではあるが、そこにバボラの"中厚ラケット"が、少なからず影響している。



バボララケットの父”ピエール・バボラ氏”

1990年代前半は、初心者や女性を中心に「厚ラケ」がブームとなった。しかし、プロはもちろん、上級者がそれを使うことはなかった。それは、飛びすぎてコントロールが難しくなるから。「薄ラケ=コントロール性が高い、厚ラケ=コントロール性が悪い」なんて認識も生まれた。そんな中、バボラは、新たな“中厚”というラケットを世に送り出してくる。飛びすぎるから、コントロールが悪い、だから<プロは使えないし、勝てないだろう>。どこからか、そんなことが言われるようになった。



ところがである。使用するプレーヤーが次々と活躍していくのである。

象徴的なのが、カルロス・モヤ(スペイン)。ピュアドライブを使用した彼は、1998年全仏で、バボラ社のラケットを使用するプレーヤーとして初のグランドスラム・チャンピオンとなる。そのモヤが活躍し出した頃から、テニス雑誌には<軸スイング>という言葉が踊り出すように。それまでのテニスは、スクエア・スタンスで後ろ→前に振る平行スイングが主流だった。ところが、そのあたりから、下→上に振り、ボールを厚く捕らえながら強い回転をかけるスイングが流行していく。

なぜ、それにバボラのラケットが関係しているのか? それは、バボラのラケットが単に中厚なだけでなく、スピン性能が高いラケットでもあったからだ。中厚ラケットの飛び、パワーをスピンでコントロールするテニスが流行したことで、多くのプレーヤーが“中厚ラケット”を使用しだすのだ。


バボラがテニスの新潮流を作り
波に乗った選手たちが活躍




 モヤ前後で名前を挙げるなら、元世界ランキング6位で、ツアー8勝を成し遂げているニコラス・ラペンティ(エクアドル)。彼は、フォアハンドではスピンを巧みに操るベースライナーで、相手のミスや浅いボールを引き出してポイントするタイプだった。さらに、アレックス・コレチャ(スペイン)もピュアドライブを使用した選手の一人だ。1996年USオープンではピート・サンプラスと歴史に残る死闘を演じ、1998年、2001年と全仏で2度の準優勝。そのヘビースピンを覚えている人もいるのではないだろうか?



さらに、バボラを語る上で重要なプレーヤーの一人であるアンディ・ロディック(アメリカ)を忘れてはいけない。サーブ世界最高速度を記録し、2003年USオープンを制し、ランキング1位にも輝いた彼もピュアドライブを使用していた選手だ。



そして、ロディックの名前を出したら、バボラ契約プロでランキング男女1位を成し遂げたキム・クリスターズ(ベルギー)も忘れることはできない。パワーテニスで相手を圧倒し、ベースラインから下がらず、高い打点でボールをつぶす。フォアハンドはフラットドライブ系で、ゲームの展開力も高く、アングルやダウン・ザ・ラインでポイントを奪っていく。そんなテニスでツアー41勝を記録。シングルスではUSオープン優勝3度(2005、2009、2010年)、全豪オープン優勝(2011年)、ダブルスでは2003年に全仏オープンとウィンブルドンで優勝するなど大活躍していた彼女は、今年、ツアーに復帰するというサプライズを起こしている(その手に持っているのは、もちろんピュアドライブである)。




 同時期に活躍をしていた李娜(リー・ナ、中国)もいる。172cmとプロの中では小柄ではあるが、安定したプレーに加えて、下半身で溜めた力をしっかりボールに伝えて放つ、スピードボールはとても魅力的だった。ピュアドライブを武器に、2011年全仏、2014年全豪で優勝している。



もちろんピュアドライブだけではない。例えば、ピュアコントロールやピュアストームで、今でも語り継がれる強烈なフォアハンドを打っていたフェルナンド・ゴンサレス(チリ)もいる。2007年全豪オープン準優勝、2004年アテネ五輪ダブルス金メダル、シングルス銅メダル、2008年北京五輪シングルス銀メダル、これらの成績を生み出したのは“スピンで制御できるバボラの中厚”があったからだ。



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