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2020.11.16

選手情報

フェデラーの活躍のきっかけはアガシとの戦い!? 「ブレークスルーの年になった」

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「最高のベースライナーを
真っ向から戦って倒すことが
できるという信念が開けた」

11月15日、ATP公式サイトは「Nitto ATPファイナルズ」の50周年を記念し、2名の異なる世代の選手招いて思い出の大会を語るビデオチャットを配信。グランドスラム最多の20勝を挙げ、ATPファイナルズを6度も制しているロジャー・フェデラー(スイス/2003-04、06-07、10-11)が、グランドスラム11勝を誇るレジェンド、ビヨン・ボルグ氏(1979-80年優勝)と司会のティム・ヘンマン氏と共に大会を振り返った。

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2017年にスタートしたレーバーカップで同じチームのキャプテンと選手という関係のボルグ氏とフェデラーの会話が、和やかな雰囲気で続く中、フェデラーにとってATPファイナルズの勝利の中で最も印象に残っているタイトルについて話題が移った。

同大会に2002年の初出場から計17度も出場してきたフェデラーは、大会に出場すること自体が偉大なことだとしつつ、一つの大会をピックアップ。初優勝を成し遂げた2003年大会を選んだ。

当時世界ランキング3位で挑んだフェデラーは予選で、同5位のアガシ氏や同8位のダビド・ナルバンディアン氏、同2位のファン・カルロス・フェレーロ氏らを破ると、準決勝で同1位のアンディ・ロディック氏と対戦。ストレートで破り決勝に進出していた。
「おそらく2003年のヒューストンに戻らなければならないね。すべては予選でアガシと対戦したこと始まった。マッチポイントを防いで、ファイナルセット7-6で勝ったのを覚えているよ。決勝でもアンドレと再戦し、ストレートで勝った。僕にとって最高のベースライナーを真っ向から戦って倒すことができるという信念が開けた。2003年は僕にとってブレイクスルーの年になったよ」とフェデラー。

事実、この大会で世界ランキング2位に上がると、2ヵ月後に行われた2004年全豪オープンでも優勝。初めて世界ランキング1位に立つと、2008年8月までその座を譲らなかった。
2003年の戦いがなければ、今の地位は築けなかったのかもしれない。

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写真=田沼武男 Photos by Takeo Tanuma