難しいからこそ良いショットが
打てた時が車いすテニスの魅力
車いすテニスと聞くと、グランドスラム単複45度制し、オリンピックで2大会連続金メダルを獲得したレジェンド、国枝慎吾(ユニクロ)の名前を思い浮かべる人が多いかもしれない。
そんな車いすテニス界の将来を担う一人の選手が現れた。小田凱人選手(おだ・ときと/岐阜インターナショナルテニスクラブ/世界ジュニアランキングキャリアハイ6位/JWTA車いすテニスランキング[シニア]5位)だ。
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2020年1月、フランス南部の街・タルブで開催された18歳以下の選手で争われる『車いすテニスジュニアマスターズ』で当時世界ジュニアランキング1位の選手を破り見事優勝。城智哉(たち・ともや)選手と組んだダブルスでも優勝を果たしており、車いすテニスを始めてわずか3年で世界一に立ってしまった。この出来事に国際テニス連盟(ITF)も「将来の日本のスター候補が現れた」と称賛している。
そんな彼がどのようなきっかけで車いすテニスを始め、どのように力をつけてきたのか、そして将来の夢を聞いてみた。
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――改めてですが、車いすテニスジュニアマスターズ優勝おめでとうございます。その時の自分のプレーや感じたことを教えてください。
「実は、海外の大会に出場するのが2回目でした。決勝で戦った選手が初めて当たったのですが、(大会中)その人と決勝でやるだろうなというのは感じていました。大会では予選で一度負けてしまいましたが、そこから自分の中で考え、帯同してくれたコーチとも話し合って、色々な作戦を練りました。決勝はタフな試合だったんですけど、それを勝ち切れて良かったと思います」
――決勝は競った試合でした。自分の出来としてはどうでしたか?
「1セット目はリラックスしてボールを打てていたんですけど、2セット目からは緊張と焦りが出てきてしまいました。3セット目では、それがだんだん増してきて、そこで相手も同じような状態だと感じ取れて『ギアを上げないときついな』と思って、うまくギアを上げられてハマった感じです」
――実際に海外で戦うのが2大会目だったということですが、海外と日本のテニスの違いがあれば教えてください。
「海外の選手は試合中に何でも表現するというか、いい意味ですごい波がある選手が多いのかなと思いました。日本の選手はクールな感じで試合をする人が多いんですけど、海外の選手は全面的に感情を出すというか、ガッツがある選手が多かった感じがしました。自分ではそれほど意識はしていなかったのですが、大会前には海外の選手と一緒に何日か練習もしていたのでいい刺激をもらったというか、高めあえて自分も熱くなれました」
(c)Tennis Classic
――話は変わりますが、車いすテニスを始めるきっかけは何でしょうか?
「9歳の時、左股関節に骨肉腫という病気を患い、足は切断していないのですが、人工股関節を入れています。左の太ももと左の腹筋の筋肉がなく、手術したところは感覚がない状態です。その入院中に主治医の先生から『パラスポーツをやってみないか』と誘われたのが最初です。いろんなスポーツを見た中で、車いすテニスが一番華があるというか、魅力的でそこに惹かれて始めました」
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