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2021.06.05

メーカーズボイス

自由闊達でユニークなテニスマン集団「テニック」という会社<世界中の優れたテニス用品を提供することが私たちの務め>

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1995年の震災をきっかけに
日本全国に良質な商品を届けたいと
代理店業を促進させていく

そんなテニックの歴史の中で、一つ転換点となったのが1995年である。1月17日5時46分52秒、兵庫県の淡路島北部沖の明石海峡を震源として、マグニチュード7.3の阪神・淡路大震災が起こる。
そんな中で、髙松氏は単なるテニス用品の卸屋である事に危機を抱いた。そして「もっと世界の良質なテニス用品を日本に広めたいと考え、手始めに小物からと当時代理店だった株式会社アジアワースから“ボウブランド”と“トーナグリップ”」の代理店権利を買い取りました」(髙松氏)。





100年に渡り、ナチュラルガットを生産してきた「ボウブランド」は、ウィンブルドンのオフィシャルストリンギンガーを続けている魅力的なブランド。そして「トーナグリップ」は、ご存じのとおり、世界的なプロ選手の過半数が使用している卓越したグリップテープのブランドだった。

もう一つ、テニックにとって契機となったのが、アジアワースが生産していた日本製のグリップテープ。高品質であり、ユーザーからの評価が高かったにもかかわらず、販売数に反映されていなかったグリップテープを、テニックで取り扱うタイミングで、ウィンブルドンのイメージを強化してタイアップ。専門店での最強商品に成長した。

また、ボウブランド社との太いパイプを生かして、ウィンブルドン(大会)のストリンギングチームにストリンガーを派遣していた。当時から、勤勉で技術力があり、細かな配慮ができる日本人ストリンガーは高い評価を得ていたという(2001年アメリカ同時多発テロ事件により、イギリス政府が外国人入国禁止処分を打ち出したことで途絶えたが、10シーズン続いた)。


日本のテニスに新たな歴史を作るために
テニックはこれからも歩み続ける

テニック自ら日本総代理店を務めているブランドは、先に記した「ボウブランド」(1997年より)、「トーナグリップ」(1997年より)の加えて、「バルデマッチ」(1998年より)、「イソスピード」(1999年より)、「ボレー」(1999年より)、「マンティス」(2011年より)、「セント・クリストファー」(2016年より ※テニスライセンス契約)も行っている。





現在では、「マンティス」のラケットやテニスギア、「ボウブランド」「イソスピード」のストリングなど、「トーナグリップ」のグリップテープなど、「バルデマッチ」「セント・クリストファー」によるアパレルと、テニスに関わるすべてを扱っているわけだ。

加えて、各種テニスブランドの代理店業も行い、日本全国の小売店へとテニスギアを発送する。おそらく、あなたもテニックが関わるギアをショップで手にしているはずだ。

取り扱っている品もバラエティー豊富ではあるが、ヘッド、トアルソン、ウイルソン、ダンロップ/バボラ、ディアドラ、ロシニュールなどのメーカーでの勤務経験があったり、テニス専門店、クラブ/スクール、テニス情報サイトに勤務していた経験があったり、働くそのスタッフもバラエティー豊富。テニスに深い思い入れのある人間が仕事している会社なのだ。

自由闊達でユニークなテニスマン集団――テニックの社是は[勝利を目指すテニスプレイヤーのために、テニスライフを楽しむ人のために、 世界中の優れたテニス用品を提供することが私たちの務めです]。

「今ではアクトグループ株式会社の一員となり、総合スポーツ企業を目指しながら正当なビジネスを続ける専門店と利益を共有できるために努力をしています」、髙松会長はそう言葉にしている。

日本のテニスに新たな歴史を作るために、テニックはこれからも歩み続ける。

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