2024年シーズン、日本女子で躍進を遂げた選手といえば柴原瑛菜(橋本総業ホールディングス)が候補に上がるだろう。元ダブルス世界ランク4位とシングルスの印象は薄かったが、今季から本格的に挑戦。世界ランク548位でシーズンをスタートさせると、全米オープンでは予選から勝ち上がり本戦へ進み、グランドスラム初勝利も挙げた。【画像】グランドスラム2024で熱戦を繰り広げた日本女子選手たちの厳選写真!
結果的に、同大会では当時世界ランク1位のイガ・シフィオンテク(ポーランド)に敗れたものの、その後も着実に経験を積んでシーズン終了時には133位まで上昇。11月に行われた女子国別対抗戦「ビリー・ジーン・キング・カップ」ファイナルではシングルスに抜擢され、トップ100に連勝してチームのベスト8に貢献した。柴原の武器でもあるサーブの技術やフィジカル面の改善に力を注ぐ柴原の兄・瑞樹さんに、ツアーを戦った収穫や今後の課題、初めてグランドスラムジュニア本戦に出た感想などを聞いた。――柴原瑛菜選手が予選を3回勝ち、本戦2回戦で世界1位のシフィオンテク選手と対戦しました。5試合を振り返っていただけますでしょうか。「最初に言っておくと、私はテニスのコーチではないのでテニスがどうこうというのは、弟と今回は来れなかった父の2人が見ています。彼らに戦略などは任せていて、トレーニングの方を担当しています。それを踏まえて総評で言うと、『テニスが上手くなったな』と。基本的にいつも身体の使い方を見ることが多いので、やっとちょっとシングルスの選手と戦える、しかもトップ選手と戦えるような球の質、配球、フットワークが少しずつ追いついてきたと身近に感じられる5試合だったと思います。ダブルスの場合は、パートナーがいてスピード感ある中で『厳しい球際をいかに打てるか』『ちょっと隙があったところに打ち込めるか』がカギです。コートの前後をカバーしてという意味では、トップ選手に食い込んでいけるようなプレーができてきたのではないかと思える全米オープンでした」――シフィオンテク戦ではアーサー・アッシュ・スタジアムで堂々とプレーしていました。「そうですか、僕からすると結構緊張しているように見えました。彼女は『緊張はなかった』と言うのですが、少し固かったかなと思うこともありましたし、シフィオンテク選手にやりたいことをやらせてもらえなかったというのは事実だと思います。スコアは厳しいものだったのですが、運も絡んだとはいえ、もっと取れたスコアの内容ではなかったのかなと思います」――多くの選手がセカンドサーブを打ち込まれてしまうケースも多い中、柴原選手のサーブはシフィオンテク選手にリターンで崩されない印象でした。「それは嬉しかったですね。ずっと武器だったし、今はサービスに関してもトレーニングをいろいろやってきている中で世界一にも通用した。それはかなり自信になったという感じですね」――世界のトップと戦い、ここが不足していると感じたことはありますか?「もちろん不足もあるんですが、それ以上に『世界一はこんなことができるんだ』と。そういう意味では、変な言い方になるかもしれませんが『天井が見えた』。上がコレであるなら、こういうことをやっていけば追いつけるなというのが実感があります。もちろん瑛菜ができるかどうかは別にしてですけど」――『世界一はこれができる』というのを教えていただけますか。「ラリー戦は苦戦はしていたのですが、ちゃんと瑛菜がポジションに入って自分の理想の球が打てる時は、勝っている時もあった。そういう意味で何かが足りないというよりは、今やっていることを極められると、上で戦えるのではないかというポジティブな会話をしました」「少しでも緩い球を出してしまったら攻められるのは当たり前なんですけど、(シフィオンテク戦では)良い球を打った時に『いつもだったらこういうボールが返ってくる』と想像した球と違う球が返ってきました。それだったら、こういう対策もしていかないとねという風な感じです」「瑛菜だったらサーブ&ボレーが得意なのに昨日は1回か2回しか出していません。1回目にミスが出てしまい、自信がなくなってしまったようなのですが、しっかりと勇気を持って出していけたらもしかして展開が変わっていたかもしれません。(シフィオンテクの)コート深くへの配球の時に少し『うわっ』となった。それは、今までにはなかったこと。『しっかり後ろに下がってから前に戻るという動きも練習しないとね』と話しました」――収穫の多い5試合でしたね。「今やっていることの自信にもつながった上に、プラスアルファでこんなことをしていけば良いのではないかという収穫がいっぱいあった試合だったと思います」――これまでダブルスプレーヤーとしての印象が強く、以前からシングルスをメインにプレーしたかったのでしょうか。「一番最初を辿ると、シングルスで戦いたくて、大学の頃にITF大会に出てランキングは持っていました。ですが、『東京五輪で自分のプレーをおじいちゃん、おばあさんに見せてあげたい』と言って、そのタイミングでダブルスのランキングがたまたま上がっていき、それが5、6年前のことになります。東京五輪も最初は出場するためのランキングが足りずに、無理だよと言っていたのですが、いくつかタイトルを獲って出場できました。そうしたら、ダブルスのランキングが上がりすぎて4位までいったので、ダブルスの印象が強いのも仕方ありません」「ダブルスのツアーを回りながら、シングルスのツアーを回るのは厳しかった。WTAのダブルスに出ている時に、毎回ダメもとで(シングルス出場の)サインはしていました。(欠場者の繰り上がりで)たまにWTA500、1000で予選に出場したり、勝ち上がって本戦出場というのがあったのがこの3~4年。また、コロナ禍でシングルスを回れるタイミングが減ってしまい、シングルス挑戦が今になりました。ダブルスで世界一を獲りに行こうよ!という話もあったのですが、コロナでスケジュールが全部ずれてしまったというのがこれまでの経緯になります」「ダブルスのシーズンが11月に終わり、オフを返上して1月の前哨戦が始まるまで頑張ってシングルスを出ていたのがこの5年間ぐらい。東京五輪も出場でき、WTAツアーファイナルも2回出場できました。シングルスをチャレンジする年齢(26歳)になったし、チャレンジするのなら今やらないと、目指すトップには厳しいのではないか?ということで、今年からシングルスでしっかり回りたいとなり、今に至ります」
――チームとしての目標も当初のものから変化がありそうです。怪我をしないようにトレーニングを積んでいくことなどのバランスがあれば教えてください。「毎回ケアはしっかりしてもらえるようにしているので、最終的にはスポンサーもしっかり集まってくれるようになれば、治療のスタッフもツアーに連れていけるともっと安心できるんですが、今はとりあえず怪我をしないような身体を作ろうということでトレーニングは見てる形です」「トップの選手のトレーニングは一言で、“動きのスピード感”が違います。<intensity:インテンシティー(強さ、激しさ)>という表現、になるのですが、実は(柴原選手を)ノロいなと思っていて、『もっと速く動けるようになりたいね』というのが一つあった。ですが、動きが思っていた以上に俊敏で良い意味で裏切られました」
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