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2016.08.20

メーカーズボイス

フェデラー使用の「9本の刀」 フェデラーの歴史はプロ・スタッフの歴史でもある

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フェデラー使用の「9本の刀」フェデラーの歴史はプロ・スタッフの歴史でもある

17度のグランドスラム優勝、世界ランク1位在位期間と歴代1位となる記録を保持し、その華麗なフォーム、果敢な攻撃的スタイルもあって、"史上最高のプレーヤー"とファンから愛される。誰よりもテニスを愛し、テニスを楽しみ、35歳となっても、テニスへの情熱を失っていない。ロジャー・フェデラーを端的に紹介するとしたら、こんな説明になるだろうか。そのフェデラーがプロ転向を果たしたのは1998年のこと。そこから2016年現在の19年までに"9本の刀"を手に戦ってきた。



ウィンブルドン・ジュニア単複を制覇し、ジュニア・ランキング1位となってプロ転向を果たしたフェデラーの最初の4年間を支えたのは名器「Pro Staff MID」(当時のモデル名はPro Staff 6.0 85)である。当時は110平方インチのいわゆるデカラケやミッドプラスと言われた100平方インチのラケットが主流になりつつあった時代。その中で85平方インチのラケットで戦うというのは、それだけPro Staff MIDを気に入っていたのだろう。



ジュニアNo.1の彼もいきなりの大活躍とはいかなかったものの、ランキングTOP20入りを果たした4年目(2001年)には、ATPツアー(ミラノ大会)初優勝、全仏、ウィンブルドンでベスト8に残るなど、頭角を現していく。

 2002年、フェデラーは新たな刀にフェース面積90平方インチの「Hyper Pro Staff 6.1 90」をチョイスする。当時は、ラケットが一気に進化を見せた時代。パワーが必要不可欠になる中で、サイズアップで対応したわけだ。同年は全豪、USオープンの4回戦進出が最高だが、翌2003年「Pro Staff Tour 90」を手にすると、ウィンブルドンでグランドスラム初優勝を果たす。振り返ると、この優勝こそがツアープレーヤーとしてのターニングポイントだったかもしれない。



2004年からは、「n Six. One Tour 90」を使用。このころから、フェデラーの強さは本格化。同ラケットを使った3年間は、全豪2度優勝、ウィンブルドン、USオープンは3度優勝と8つのグランドスラムタイトルを獲得するのだ。忘れてはいけないのは2004年の全豪制覇直後のランキングで初の世界ランク1位になったことだ。



さて、名刀「n Six. One Tour 90」だが、フェデラーのものは市販のラケットとは若干仕様が違っていた。それはフェース中央のストリングの目の粗さ。ウエイトやバランス。ストリングパターンこそ同じだが、PWS(周辺加重機構)部分のホールが4本(市販は5本)になっていたのだ。これは「ウエイトとバランスをいじらずに、もう少しボールを飛ぶようにしてほしい」とフェデラーが要望したため。スイートエリアの目を粗くすることで、ボールの飛びを良くしたというわけだ。

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