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2018.09.28

メーカーズボイス

錦織 圭の<歴代モデル>は ウイルソンと歩んできた歴史である

錦織 圭とウイルソン日本支社が用具提供契約を交わしたのは、2001年のこと。当時11歳、それは息子の非凡な才能を見抜き、応援したいと考えていた父・清志さんからの依頼が、ウイルソン・道場氏に届いたことがきっかけだ。小学生との契約話は、前代未聞。ところが、プレーする錦織と直接会うと、一気に「気になる存在になった」(道場氏)。プロとしての可能性などは考えず、“できる限りのことをやってあげたい”――そうして異例の契約は実現した。

実は、錦織 圭とウイルソンのラケットの関係は、その以前からスタートしている。人生初のラケットは、110平方インチの「HYPER HAMMER 5.3」。同じHYPER HAMMERの厚ラケを使っていた父が、同シリーズの競技者向けモデルをプレゼントしたのだ。



2001
HYPER HAMMER6.3 95
小学6年生の時に全国選抜ジュニアU12、
全国小学生、全日本ジュニアU12で優勝し3冠達成。


2002
HYPER HAMMER5.2 95
『修造チャレンジ』に最年少で参加。
全日本ジュニアU14ダブルスで優勝。


そして2つ目のラケットは、まだ錦織とウイルソンが契約する前に錦織自身が選んだ「HYPER HAMMER 6.3 95」。このラケット選択には、当時の道場氏も良い選択だったと語る。ウイルソンには、競技レベルの選手には95平方インチこそが最適だとする考え方がある。空気抵抗が少ない面の小さいラケットでスイングスピードをあげ、ボールをコントロールするという考えだ。この頃、錦織とウイルソンは契約をすることになる。「HYPER HAMMER 6.3 95」が契約時のラケットとなった。今も続く錦織とウイルソンのストーリーはここから始まる。

そこから錦織は、全国選抜ジュニア、全国小学生、全日本ジュニアと三冠を達成。そして最年少で修造チャレンジに参加。その際の相棒は、彼にとって3本目となる「HYPER HAMMER 5.2」。
そして舞台はアメリカへ。IMGアカデミーでの武者修行に旅立った13歳の手に握られていたのは「H TOUR」。フレームの内側にカーボンファイバー繊維の補強材を格子状に張り巡らせる「アイソグリッド」テクノロジーが採用され、パワーとコントロール性を高めたラケットは、錦織をして「一番印象に残っている」と言わしめるものだ。

2003〜2004
H TOUR 95
アメリカ・フロリダ州のIMGアカデミーにテニス留学。



2005
N TOUR 95
ウィンブルドン・ジュニアでGSジュニア初勝利。
USオープン・ジュニアではベスト16をマーク。



続く「nTOUR」は、フレーム強度、安定性を高めるため、カーボン繊維の間にナノレベルの粒子、シリコン・オキサイドを配置するnCodeを採用。このモデルから、シカゴにある本社ラボで最終調整を行うようになった。というのも、当初同モデルを使いだした際、海外選手の強打に対抗するため、錦織はフレームに多量の鉛を張っていたため。まだ出来上がっていない肉体を考慮すると、そのチューンナップは危険を伴う。そこで道場氏が、トップヘビーにするチューンナップを本社ラボに委託したのだ。

16歳から使用を始めたのは「nTOUR Ⅱ」である。要望によりグリップを長くし、フレームにナノ・フォームテクノロジーを、ストリングホールにダブルホールテクノロジーを搭載したモデルで、錦織は全仏ジュニアダブルス優勝。17歳9ヵ月でプロ転向。この年より縦にポリ系モノフィラメント、横にナチュラルを張るハイブリッドへ移行している。

2006〜2007
N TOUR TWO 95
全豪オープン・ジュニアでベスト8入り。
全仏オープン・ジュニアではダブルス優勝。



2008〜2009
K TOUR 95
プロ転向後GS2戦目となるUSオープンで
当時4位のフェレールを下しベスト16入り。



18歳のシーズンは、特筆すべき年だ。デルレイビーチ国際選手権でツアー初優勝を果たすと、USオープンではD.フェレール(スペイン)を破ってベスト16入り、そしてATPワールドツアー最優秀新人賞を受賞。そのすべては、「[K]TOUR」を使って成し遂げたもの。ここで錦織に“右ヒジの疲労骨折”という苦難が訪れる。

その欠場明け、20歳となって迎えた2010年シーズンから使用を始めたのがTOUR BLXシリーズ。

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